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2010年10月12日 (火)

楽器の操作(演奏)を発音機構との関連、楽譜との関連から

ピアノという楽器の不思議さ

私は楽譜が読めない。いや開き直るつもりはなく、恥ずかしいな、という気持ちで言ってるのです。

どうしてあのような記載方法になったのか、そもそも楽器の操作方法を示す手順書としては、いかがなものか?という気持ちがぬぐいきれない。ま、たんなる負け惜しみですがね。

そこで、自己弁護を兼ねて、楽器操作として思いを述べてみたい。

ピアノは鍵盤を押して音を出す楽器だ、というのは実は間違いで音を出す機構と鍵盤という操作機構との乖離が著しい楽器である。

弦をフェルトを巻いたハンマーで弦を叩いて音を出す。そしてハンマーはリンク装置で何回か連結リンクで接続され奏者の手前まで長く連結されて、最後に鍵盤の下でリンクと結合される。そういう意味では発音装置と操作装置がかなり距離的に離れており、発音の現場を見ることは普通できないし、見る必要もない。
こういう楽器はやがて電子キーボードとなり、発音はシンセサイザーが電子的に行い、キーボードという鍵盤は単なる電気のスイッチである。発音も多種多様の楽器を真似ることができ、録音もでき、音楽的加工も、自動演奏もできるという形態になるのはピアノという楽器構造の延長上に予測可能なことだ。

これは操作盤たる鍵盤と発音装置との分離または乖離が鍵となっている。

では18世紀にピアノはどうしてできたか、すぐ引き合いに出されるの例のチェンバロだ。別名ハープシコードまたはクラブサンという楽器だ、こちらは弦をはじく発音方法であり、弦をはじく機構からは強く弾くとか弱く弾くというのができない。これを改良してフェルトで叩く方法にしたものが強弱可能だということでフォルテ・ピアノが可能だとなったもので、ピアノの語源でもある。

ハープシコードにはハープという言葉が残っているようにハープを横にして弦を弾く機構を取り付けたものだった。そのときになぜ鍵盤をつけたのだろうか?
作りやすいようにありこちに撥弦装置をつけ、奏者の超人的奏法で演奏するということにはならず、面倒なメカをつけ、リンク装置で撥弦装置から操作盤を奏者の前に引っ張ってきた。そして白鍵と黒鍵のあの並び方に統一される。

実はもっと前から鍵盤はある。それは教会のパイプオルガンだった。あれは建物と一体化した巨大なパイプをふいごで風を送るため、パイプを曲げ、伸ばして、弁の開閉を行なうようになっていて、操作盤というより操作室のようなところまでメカを引っ張ってくるのである。そして鍵盤で操作するのだ。14世紀のころである。

教会のオルガニストだったバッハが音楽理論を完成させるのは鍵盤操作テクニシャンとしての経験が大きくモノを言っただろう。そして18世紀にピアノが出て音楽はおおきく進歩した。モーツアルト、ベートーベンらはピアノで自己の才能を開花させていった。今でも音楽を志すものはピアノ技法の習得が基礎になっている。音大の声楽家志望でさえ、入学時にピアノの試験があるという。
それは鍵盤楽器だからだ。音楽理論と鍵盤はきっても切れない関係だからだ。
バッハが平均律という音楽理論を確立したのは鍵盤操作を通じてであろう。

鍵盤というスタイルは楽譜の表現方法にもっとも忠実な操作盤だと思う。

ヴァイオリンは弓で発音で指で音程操作、トランペットは口で発音し、指で音程操作、他にもいろいろな楽器はあるが、奏者の楽器操作に肉体性がある。発音機構に直接肉体が関与する割合が高い。それだけ原始的だともいえる。

ピアノのメカを見ていると産業革命による機械加工革新がなければできない楽器だとつくづく思う。フルートや、サキソフォンのメカも金属の精密加工技術が背景に必要だ。それでもこれら管楽器には肉体性が色濃く残っている。

ピアノこそやがてキーボードに進化することからわかるように発音機構と操作機構が乖離した楽器は、操作鍵盤配列が音楽理論的になることと、音楽理論が鍵盤的になることと交互干渉的に発達してきたと思われる。

現在の楽譜というのは極端に言えばピアノのための演奏手順書だ。

タンゴで有名なバンドネオンは悪魔の楽器といわれるそうだが、演奏が難しく、発音機構と操作機構が近いからだが、それだけ原始的で、そこから超絶技巧が出てくるのだろう。

その操作の複雑さを嫌えば、やがてアコーディオンになり、やはり操作系は鍵盤となる。

ピアニカ、という小学生用の楽器はハーモニカのような発音機構だが、キーボードをつけて学習しやすいように創作されたのは、楽譜との親近性を求めたからだろう。

三味線や尺八は伝統的な特殊な楽譜を使っていると思われるが、もともと音階も西洋音階でないので、これでいいのだろう。民族楽器ならば平均律楽譜に妥協する筋合いはないからだ。

秋の夜のヴィオロンの長いすすり泣き・・・とヴェルレーヌの詩にあるようにヴァイオリンの音のゆれ、うなり、などは音程の変調が可能だからできるのであって、ピアノでは不可能だ。音を細切れにして速く鍵盤を叩いたところで、こぶしを回すような真似はできまい。

やはり楽器が肉体性を失うことは間違っているのではないか。
天才ピアニストの演奏をコンピュータに記憶させ、それとまったく同じ演奏をピアノにさせることは現在の技術でできる。
超ハイファイ録音再生もオーディオ機器の進化で、生演奏と区別できないような再生も可能である。聴けばそれなりに感動もある。

しかし、この類の進化はほどほどにしておいたほうがよいのかもしれない。
どこかで肉体性を残すほうが人類は幸福であるような気がする。

楽譜を読めない、ピアノを弾けない、ギター弾き語り親父の繰言でした。

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