自分の葬式設計
昨日、葬儀のセミナーに参加してきた。生協が主催するもので葬儀業者も解説に加わっているが、参加者の多いことにまず目を見張った。みんな関心があるんだなあ、と。
ここ数年来、家族葬が増えているそうだ。家族を中心として親しい人たちだけで故人を見送り、形式ばって費用もかかる葬儀を敬遠する傾向が見えるという。また宗教色を排した無宗教葬儀も増えているとか。
そう考えている人は多いということは統計データからも言えるものだった。みんな他人の葬式に出て、坊主のお経ぶつぶつを聞きながら、おごそかな司会者の式典進行を聞きながら、内心は辟易していたのかと思うとなにやら笑えてくる。
数珠をもち焼香しながら、こころでは自分ならこうでなく、納得できる葬儀にしたいものだ、と心では思っている。
ところが、いざ、肉親が亡くなったとなると病院(病院での死亡が95%)では、いきなり葬儀社はどこにしますか?とくるものだから、「えーと、あのー、、、」といってる間に、「では、とりあえず、どこそこを手配して置きますから、別の予定があるなら変更してもらってかまいません」といわれて大半は、というかほとんど業者のコースに乗せられてしまうのが現実だそうだ。
葬儀設計は事前にやっておかないと、あっというまに業者コースに乗せられる仕組みができているのです。なにしろ遺族には、それから見積もりをとったり、業者選定している時間と心の余裕はありませんから。
葬儀ビジネスは盛んで異業種からの参入も激しい業界だ。少子化・非婚化で結婚式ビジネスの将来像に夢が持てなくなる反面、年寄りは増えるし、死なない人は無いのだから、ということで競争も激化している。
おろおろして、ボーっとしている消費者は格好の儲け対象だ。
散骨にも質問が多かった。どのようにすればできるのか、許可はどこでもらうのか?など具体的手法に質問が多かった。
葬儀のあり方に疑問を持ち、自分で納得できるものにしたいと考える人が増えていることはいいことだ。
無宗教スタイルで葬儀をし、お別れの会を行った後、一流レストランでフランス料理のフルコースをみんなで食べたり、コンサート形式にするなどいろいろな例が紹介された。
こうして葬式仏教が廃れていくのだろう。まだ20世紀末だったが、あと20年ぐらいで日本仏教は消滅すると警告を発していた、仏教者がいたが、そのとおりになると思う。
現在の仏教は宗教というより、葬式仏教といわれるように葬儀主宰者にすぎない。
私は宗教としての仏教に強く惹かれるが、その組織である寺や僧侶には共感できない。仏・法・僧を篤く敬え、と聖徳太子は言ったが、仏・法だけでいい。
歴史遺産としての寺社建造物管理および、葬儀主宰という職業として残るしかないのではないか。
悩み、苦しむ人々のこころを救い、生き方に指針を与えるという行為はとっくに放棄されているのだから。


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