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2008年8月 5日 (火)

明治の廃仏毀釈について

明治に廃仏毀釈令という政府の方針が出されて多くの仏教寺院が壊されたり、廃寺になったりした。何と野蛮なことをしたことかと、文化財保存の意味から批判されることがありますね。

尊皇攘夷をスローガンにして出来た政府だから、国学系統の思想にかぶれ勇み足で神道に肩入れしたためかとぼんやり思っていました。

あるいはローマ帝国が滅びキリスト教が覆うようになるとギリシャ・ローマ文化の彫刻や、ローマ神像などがテヴェレ川に放り込まれたのと同じで、政権交代の影響はこういうことにも現れるものかという歴史法則を思うこともありました。

ところが、事実はもっと違ったところにあることがわかったのです。

徳川幕府の政権組織に寺社奉行というのがあります。勘定奉行や町奉行に比べ地味な存在だし、新任大名がまず任命されるのが奏者番という勅使などに対する取次役でそのなかから寺社奉行が選ばれる。つまり実績も、能力も要らない役職だとなんとなく思っていました。

 しかしよく考えると、別の姿が浮かんできます。

各藩は領民から年貢を徴収して、藩政を運営するわけだが、領民は藩への貢納のほかに寺へのお布施を強制されていたのです。

藩は領民からすべてを搾取できたわけではないのでした。寺請け制度(檀家制度)ですべての領民はここでも戸籍を把握され、法事を強制されたのです。

もともと仏教では初七日、百か日、一周忌しかなかったが、3回忌や7回忌や、13回忌などと増やされ、寺に吸い上げられる仕組みになっていた。これは藩でもどうしようもなく、藩としては歯軋りする思いで見ていたというのです。これを法的に支え、本寺-末寺関係を整理統合し、がっちりとした民政制度にしているのが寺社奉行というわけで、諸大名の財政基盤を弱める政策に合致していたのです。参勤交代や、治山治水工事命令、取り潰し政策だけでなく、檀家制度もこれらに加わったのです。

寺への優遇に比べ不公平なこの制度に神社側が苦々しく思っていたことは当然です。

ここに徳川幕府のすごさが見えます。徳川政権は中央集権でなく、3百諸侯との分権による幕藩体制だと言いますが、それは甘すぎる見方ではないでしょうか。

 そして徳川が滅亡したときに神社側の積年の恨みが爆発しました。これが廃仏毀釈の背景です。新政府も版籍奉還と廃藩置県だけでは財政的にもたないことを知悉していました。誰でも考え付くことだったか、大久保か、あるいは横井小楠や津田出など財政家のアイデアであったか?興味があるところだ。

こうして檀家制度も壊すことにしたのです。これを徹底的にやったのが薩摩でいまでも鹿児島県にはお寺が少ないそうです。

明治維新の革命性は徳川幕府打倒、版籍奉還、廃藩置県、富国強兵、殖産興業のほかに檀家制度破壊も入れるべきだと思いますが、なんとなく扱いがマイナーな感じがします。

 仏教は徳川初期に檀家制度を受け入れて布教努力を放棄したところから堕落が始まっていて、葬式仏教などと揶揄されているが、鎌倉仏教のように本来の救済の宗教として再登場することはないのだろうか?

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